本だけ読んで暮らせたら -2ページ目

『本屋になりたい』

これを書いている2階の部屋に、庭に植えた金木犀のほのかな香りが漂ってきている・・・割には暑い!

『本屋になりたい : この島の本を売る』  宇田智子/著、 ちくまプリマー新書(2015)


6月に読んだ本。


タイトルに釣られて買い。


全国展開する大手新刊書店の東京都内の店で働いていた著者が沖縄の古本屋を引き継ぎ、そこから見えてきた本と人との間にある物事について綴ったエッセイ。


私もいつか古本屋になりたい・・・。

定年後は家具職人になってみたい・・・。

今の職以外のことをしてみたい・・・。


本書、50を過ぎたオヤジに迷いを生じさせるほどのインパクトは無かったが、ところどころホッとさせる文章があった。


電子書籍と紙の本

仕事、業務で読む文献や論文などは、もうずいぶん前から電子化されたものを読むようになっている。

論文・ジャーナルを紙媒体で出版する学会などは、今やほとんどないだろう。月一回発行の会誌などは未だ紙媒体で送られてくるが、会員数の減少などで予算の厳しい学会は、会誌も電子版で配信するところがある。

クライアントへの業務報告書や設計計算書、図面も電子版での提出が通常である。

今や仕事で何かを読む行為というのは、もっぱらPC画面上でのこととなってきた。


3.11以来、新聞の購読を辞め、時事ネタ・ニュースはポータルサイト上のトピックスを拾い読みするだけになり、仕事以外の日常での読む行為も確実に電子版に頼る機会が増えている。

が、書店巡りを数少ない楽しみとしている身にあって、漫画や小説やノンフィクションなどを読む際は、やはり文庫や新書などの紙媒体を購入することが多い。

私の場合、現状では未だ紙媒体による読書の割合が多いかもしれない。


昔から読み続けている贔屓のミステリ作家の作品の場合は、紙媒体での購入を優先するだろうし、ハヤカワのポケミスに至っては、あのフォルムに愛着があって、紙媒体での購入が圧倒的になうだろう。だがそれも何時までのことかは判らない・・・。


文芸書などの一般書籍が電子化されることも普通になってきた今、kindleを使ってコンテンツを読むことが確実に多くなりつつある。ノンフィクションの新作の場合は、ほとんど電子版を購入している。

コンテンツ電子化の波は、私の読書傾向も確実に変化させている。


今更ながら、電子版書籍と紙媒体書籍の違いについて一考。

両者の最も大きな違いは、電子版はデヴァイス(装置)とコンテンツ(内容)が分かれている、のに対して、紙媒体書籍はデヴァイスとコンテンツが一体であるということだ。

人類史上の読み物において、装置と内容が分離したのは20世紀末以降だ。

岩盤や土壁、粘土板、パピルス、木簡、紙などに書(描・画)かれていた一体のものが、デヴァイスとコンテンツというものに分離されるとは、子供の頃の私は思ってもいなかった。

読み物に関する現在の状況に対して、時折ふと驚きを感じることのある私は、確実に旧世代化していることを実感する。



追記

今月初めにあった、とある学会発表では、プレゼン資料をセキュリティー対策付きUSBメモリーに入れて持って行ったが、学会側で用意したPCでは、このUSBを読み込むことができなかった。幸いプレゼン資料は私のモバイルPCにも入れておいたので、そちらから別のUSBメモリーを経由して学会PCに移すことができた。

デヴァイスの違いによってコンテンツの再現が不可能となることの例として私の記憶に残る出来事だった。



追記2

ベタな妄想だが、無人島に持って行ける本を選ぶときは、紙媒体のものが圧倒的に信頼性が高いことになる・・・。



追記3
5年前に、こんなこと を言ってた。。。

『道路の日本史』

1年近く?ほっぽっといたブログ。

それまで、ほぼ読んだ順番に記録していたものが途絶えてしまったことになる。

ブログは書かなかったが、本は読んでいた。この間の記録をどうするか?

今更振り返って記録するのも面倒だ。今後もいつ中断するか判らんし、成り行きに任せるしかない。

この本は6月に読んだらしい。
大宮高島屋のジュンク堂で購入した際のレシートが挟まっていたから、3か月も前に読んだことが判った。
『道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ』  武部健一・著  中公新書(2015)

1925年生まれの90歳の著者。 恐れ入る。


本邦の古代律令国家時代に建設・整備されたと思しき道路跡と、現代の高速道路の線形とが重なることは、私のような土木工学を学んだものには理解しやすい。


戦略的な道路ネットワークは、平和時で中央集権システムが機能している時代に整備される。

道路をはじめとしたインフラの建設・整備は、国家システムや国情が安定しているか否かのバロメータにもなり得る。

中央集権が良いか悪いかは別として、歴史の事実からはそのようなことが伺える。


「コンクリートからヒトへ」のような単純なスローガンを挙げる権力の基盤が、いかに脆弱で不安定であるかは経験した。

高度経済成長期に建設したインフラが寿命を迎えつつある今日、「コンクリートもヒトも」が、望ましい。


壇蜜日記0

壇蜜日記 0(ゼロ)【文春e-Books】/文藝春秋


最近は、電子書籍で読むことが増えた。

エッセイなどは電子版で十分だ。


この人の日記に刺激されて、久しぶりにブログでも開いてみようかと思った。

知的で、独特の感性の文章。いいね。

『凛々しい物語』

本屋さんに置いてある「ご自由にお持ちください」と書かれたキャンペーン用の小冊子は大抵もらってくる。


もうだいぶ経つが,2014年秋の「ハヤカワ文庫の100冊」のテーマは “凛々しい物語”


100冊の中に占めるSF系の割合の高さが目立つ。そうなると私の既読率は下がる。


32/100。 それでもナカナカ。 2年前 と大して変わらない。


『その女アレックス』


『その女アレックス』  ピエール・ルメートル/著, 橘明美/訳,文春文庫(2014)


そろそろ各社から出る今年のミステリー・ランキング本。 間違いなく,そのトップ10に入るであろう本作。

読む手を止められなかった。



突然,ある男に誘拐,監禁されたアレックスという女の物語。

パリ警視庁のカミーユ警部が事件の真相を明かして行く・・・。

誘拐事件として始まった物語は途中,その様相を大きく変えて行く・・・。


転回! 逆転! 転調! どんでん返し! サスペンス小説の醍醐味が味わえる。

読み終わった後の爽快感。 よくぞやってくれた!というカタルシス。


お薦めです。


人がいっぱい死んでる小説なんだけどネ・・・。


『カルニヴィア 2 誘拐』


『カルニヴィア 2 誘拐』  ジョナサンホルト/著, 奥村章子/訳, ハヤカワ・ポケット・ミステリ(2014)


イタリアを舞台としたミステリ・シリーズ第2弾。  『カルニヴィア 1 禁忌』 の続編。


主役級の登場人物は3人。

そのうちの2人が,イタリア駐留米軍の女性中尉ホリー・ボランドと,イタリアの憲兵隊刑事部の女性大尉カテリーナ・ターポ。この2人がメインの捜査官となって,事件の謎に挑むことになる。

そして,もう一人が,「カルニヴィア」と呼ばれる仮想現実社会とSNSをネット上に構築したダニエーレ・バルボ。過去に誘拐され,顔に傷害を受けたことのある引きこもりの天才数学オタク。


高度に発達したカルニヴィア内には,現実社会では明かされていない情報が転がっていることがある・・・。カルニヴィア内の人物(アバター)たちによって,情報のやり取りが行われる・・・。


物語には,謎を解明するために「カルニヴィア」が鍵となるような状況が構築されていて,カルニヴィアとそれを創設したダニエーレの存在と性格が実に巧く配されている。


この第2作では,イタリア駐留米軍将校の娘の誘拐事件を中心に,米軍基地拡張工事中に見つかった人骨=第二次世界大戦中に行方不明となったパルチザンのものと判明=の謎を絡めた問題に,主人公の2人の捜査官が挑む。


誘拐犯人は,米軍基地拡張の反対を訴え,監禁した少女の状況をインターネットで世界中に動画配信し,世論の動向を伺っている。

ネット上の情報となると,そこには「カルニヴィア」が絡んでくる・・・。

カテリーナとホリーは,ダニエーレへの協力を求める・・・。

と云った具合にストーリーは進んで行く。



日本と同様,第二次世界大戦の敗戦国であるイタリアには,現在も1万人以上の規模の駐留アメリカ軍が存在する。イタリア国内では,そうしたことの賛否が社会問題化することもあるらしい。日本国内の日常のニュースでは,あまり窺い知れない情報・・・。こうしたイタリア社会の状況に触発されたと云っている作者。

そのためか,このシリーズには,大規模に駐留する米軍の存在がイタリア社会に及ぼしている影響が色濃く反映されている。

なもんだから,エンターテイメントを読んでるにも関わらず,コチラとしても,どこの国でも同じような問題を抱えてるんだなァ~?なんて思っちゃうわけだ・・・。



さて,第1作の読了後もそうだったが,この第2作を読んだ後になっても,わざわざ3部作とする必要があるのか?という疑問が湧いてくる。物語としてはどちらも独立しているようだし,両作に共通の謎なども垣間見えない?

だが,わざわざ「3部作」と謳っているのには何か理由があるのだろう。

イギリス人作家が,イタリアを舞台として,第二次世界大戦に纏わる歴史上の謎やアメリカ軍駐留問題を題材としたミステリを描いてる・・・・。

そこには国際的謀略が隠されているのか??

シリーズを通底する謎は未だ明らかになっていない!?

『たとえ傾いた世界でも』


『たとえ傾いた世界でも』  トム・フランクリン&ベス・アン・フェンリィ/著, 伏見威蕃/訳, ハヤカワ・ポケット・ミステリ(2014)


前作 『ねじれた文字、ねじれた路』 が良かったので,同著者の今作も読んだ。

・・・と云っても,今作は奥さんとの合作だ。

で,その合作だが,以前にも彼らの合作を読んだことがあった。 ⇒ 『ミステリアス・ショーケース』



***** 以下,本書379ページからの引用です。 *****

 この物語は,殺人,密造,土嚢積み,破壊活動,ダイナマイト,大洪水の物語なの。冷酷な夫,ちょっと問題のあるおじさん,怖いフラッパー,忠実な相棒。よくない男と結婚して,毎日すこしずつ死にかけていた女がひとり。自分はかりそめの存在だと思っていた男がひとり。

 でも,なによりも,これは愛の物語なの。あたしたちがどんなふうに家族になったか,という物語なの。

***** 引用,ここまで。 *****


孤独だった二人の男と女の物語。その孤独が解消される物語。

扇情的な言葉など使わなくても,無意味な惹句など用いなくても,淡々とした描写で,せつなく美しい物語が描かれることを示している本書。


お薦めです。


『特捜部Q 知りすぎたマルコ』

7月だったか8月だったかの夏休みの間に読んでた本。今頃になって・・・。
その夏休み中,カミさんからは家中に溢れかえった本を何とかする手立てを考えろと言われていた。
ほんの少しだが,あらたな収納場所を思いついた(カミさんからは処分しろと言われているが・・・)。
だが,結局実行には移せず。 それで少しでも紙の本を減らせれば良いと思って購入したのがkindle。
最近のポケ・ミスは,紙版が店頭に並んでから,その1カ月遅れで電子化されるので,そちらを購入して読めばいいのだが,以前からのシリーズものはどうしても紙版で購入してしまう。電子版ポケ・ミスを購入するのは,単独モノの作品か新たなシリーズモノでなければならない。
この「特捜部Q」シリーズは,本棚にすでに4作も並べてあるので,当然のことながら紙版となる・・・。


『特捜部Q ―知りすぎたマルコ―』  ユッシ・エーズラ・オールスン/著, 吉田薫/訳, ハヤカワ・ポケット・ミステリ(2014)


それにしても「特捜部Q」シリーズも,もう5作だ。 ずいぶん早いペースで翻訳されている。人気シリーズなんだろうな。


過去4作の記事 → 『檻の中の女』  『キジ殺し』  『Pからのメッセージ』  『カルテ番号64』



では,まずは本作の概要紹介。


身寄りのない子供たちを支配下に置いて,物乞いやスリ・窃盗などの犯罪を行わせている男,ゾーラ。クランと呼ばれる一族の首領。

ゾーラが支配する犯罪者集団の中で育ったにも拘わらず,15歳の少年マルコは他の子供達とは違っていた。社会や自分たちとは異なる市民生活に関心を持ち,知性の片鱗を垣間見せるマルコに対し,いつしかゾーラも警戒感を抱くようになっていた・・・。


特捜部Q=未解決事件を扱うコペンハーゲン警察の一部所。

特捜部Qメンバーは,責任者のカール・マーク警部補,そして,カールのアシスタントにアサドとローセ。わずか3人の弱小部署だが,これまでの4作で難事件を解決してきた実績を持つ・・・。


その特捜部Qが取り組むのは,外務官僚の失踪事件だ。捜査を進めて行くうちに,この失踪事件の背後には,アフリカ援助のための公金に関わる大掛かりな横領事件が見え隠れしだしてきた。さらにそこにはゾーラ率いる犯罪組織の影・・・。


事件のカギを握るのが,ゾーラの組織から逃げ出したマルコ。

ゾーラの悪事を告発すべく,マルコは何とかして特捜部Qに接触しようとするが,組織に追われながらコペンハーゲン市内を逃げ回る。

一方,カール・マーク警部補たちもマルコの存在に気づき,彼の保護と事情聴取を図ろうとするが・・・。



いつものQメンバー3人の存在感は相変わらずだ。

社会性の強いシリアスな事件を背景としつつも,キャラ立ちまくりの3人。

それにも増して本作では,強烈な個性を持つ4人目のキャラが登場した。 少年マルコ。

マルコが,知性と勇気を駆使しながら,ゾーラ一味の追及をかわしながらコペンハーゲン市内を逃げまわり,さらには逆襲に転じる・・・。 マルコ主演のサスペンス小説と言っても良いくらい,マルコがキャラ立ちしてる。



物語のプロットといい,事件として取りあげる題材といい,ユッシ・エーズラ・オールスンという物語作家の腕前はホントたいしたものだ。凄い。

なによりも,魅力的なキャラクターの創作技術が素晴らしい。


マルコ,レギュラー化するか? 


お薦めです。


『老人力』


『老人力 全一冊』  赤瀬川原平/著, ちくま文庫(2001)


「老人力」と「老人力②」という2冊の単行本が文庫化にあたって1冊になり,それがその後,電子化され,そいつを読んだ。電子版は“筑摩eBOOKS”というブランド名みたいだ。


ヒトは何十年も生きてると,どこかしらにボケ症状が出てくる。

半世紀を生きた私も最近,ボケを自覚するようになってきた・・・。自覚するうちは本当のボケとは云わない,なんて言う人もいるけど・・・。


本書では,自覚できるボケを取り上げている(と思う)。

で,ボケてたってイイじゃん,脱力してこうぜ,ボケを積極的に捉えようぜ,いい味のボケを楽しもうぜ,ってなことを云ってるんだと思う。

本書で云われてること,もう全面的に同意しちゃうね。


物覚えが悪くなったとか,人の名前が出てこなくなったとかは,私の場合もともとだったので,それは症状のうちに入らない。自覚するのは物事への執着が無くなってきたことだ。

特段,仕事への執着が薄くなってきた感がある。

かつては,他人が主張することなんかで,チョット違うんじゃねえか? こういう考え方もあるんじゃないの? なんて思うと,直ぐに自分の考えを云ってたのが,最近では余り云わなくなった。

あなたの云う通りにやってみましょう,お好きなようにやってください,というふうに変わってきた。“自分の考え”とか“正しい考え”なんてものに対する執着や拘りが殆んど無い。


自分の能力のチョボチョボさを自覚し・・・,見栄や体裁を気にしなくなり・・・,してるうちにボケてきたんだ。そんでもって,そのボケが程良い按配なんだっていう感覚が大きくなってきた。。。

そうか,ボケってイイじゃん!

本書を読むとますますそう思えてくる。

お薦めです。