本だけ読んで暮らせたら -155ページ目

とりになったきょうりゅうのはなし

「とりになった きょうりゅうのはなし」 大島英太郎/作

 娘がカミさんに買ってもらった本です。

 福音館書店の月刊誌:かがくのとも、2005年1月号です。410円。
 (Amazon Webの検索では引っ掛かりませんでした)


 去年の年末だったか、今年の初めだったか、ティラノサウルス類の恐竜化石の発見だか分析結果の発表だか(すみません。あやふやで。)があって、そこには羽毛の痕跡が確認された、とのことでした。

 この本を読んでいたら、そんな最新の学説が、すでに取り入れられていました。
ティラノサウルスの親と子供が並んでいる場面では、子供には羽毛が描かれています。
 国立科学博物館の研究員の方が監修していて、かなり新しい説に基づいて恐竜のイラストが描かれているそうです。ティラノサウルスの鼻の位置とかが今までと違うとか(ん~,よくわからん)。

 ・・・恐るべし、児童書。

科学っぽい?歴史学




著者: 森 博達
タイトル: 日本書紀の謎を解く―述作者は誰か

中央公論新社、価格:819円


「『日本書紀』成立の謎は本書によって解明された」と結ぶ著者。
読み終わった瞬間、すごい!と思いました。

 日本書紀の中の使用語句、用例や音韻などを区分し、それらをデータとして統計的に扱い、分析しながら、謎の解明へと進みます。
 今まで読んだこの手の“謎解き本”は、それを主張する人の思い込みによる(単なる)解釈論に終始しているような気がしていました。
 しかし、今のところ私には、この本は既往の書にはない客観性があるように思え、評価は高いです。(他に異なる解釈の本が出て、それに納得した際には、意見が変わるかもしれませんが・・・)

「春の数えかた」



著者: 日高 敏隆
タイトル: 春の数えかた

 薄くてすぐ読めます。安いです。タイトルが良いです。表紙・挿絵のイラストもイイです。文章がうまくて読みやすいです。
 身近な昆虫や植物、著者が行かれた旅先での自然や風景を題材に、平均6~7ページの短いエッセイが36編収録されています。

 サーっと読み飛ばすと、一見、身近な自然を対象としていて、私達も普段何気なく見ているのかもしれないナと思えてきます。今度、自分もどこかで探してみよう、なんて思ってしまうかもしれません。しかし、普通の人には(少なくとも私には)、著者が気付いたり観察したりしているのと同じものを、そう簡単に見ることはできないでしょう。
 読み進めていくと、著者の観察眼や考え方は、訓練された人のものであることがわかります。子供の頃から身近な動植物に興味を持ち続け、一生をかけて調べ続け、考え続けてきた人だからこその視点で書かれたエッセイだと思います。

・形態上は本質的に同じ。では、蛾と蝶の違いは?
・年によって変動する温度。暖かい冬もあれば、寒い夏もある。不安定な環境で昆虫はどうやって1年を設計する?
・アメリカで17年ごとに現れる十七年ゼミ、13年ごとに現れる十三年ゼミ。なぜ十二年ゼミとか十六年ゼミはいない?
・ペンギンは翼で水中を飛ぶ?

 などなど。おもしろそうでしょ。

 自分では気付かないことを判りやすく教えてくれる、こういう本を読むのは楽しいものです。優しい文章の中に見え隠れする醒めた意見も新鮮です。

 動物行動学者である著者の日高敏隆さんといえば、「ソロモンの指輪」、そしてあの「利己的な遺伝子」、(他多数)の訳者としても有名です。

『死都日本』  タイトル(書名)に惑わされる? 



著者: 石黒 耀
タイトル: 死都日本

「死都日本」
石黒耀/著、講談社、価格:2,415円

 複数のプレートが交錯し特殊な応力場に位置する日本列島、数十万年の静寂から目覚めて変動する九州地下の地殻、マグマの上昇、そして霧島火山の水蒸気爆発から破局的噴火、大規模火砕流・火砕サージに飲み込まれる九州各都市の様相。これらの各場面に至る過程やメカニズムのリアルな描写。圧倒的な科学的知識に裏付けられています(と、思います)。

 仕事の関係から、地震関連の知識・情報に触れることは多いのですが、火山噴火に関しては、はじめて知ることばかりでした。特に“破局的噴火”という究極の自然災害については、この本ではじめて知ることになりました。

 アカデミックな世界からも絶賛され、日本火山学会では、この本を題材にシンポジウムまで開催したというからビックリです。硬そうな?学会が、エンターテイメント系の本を取り上げるという...このシンポジウムを企画した日本火山学会員の方達の、そういう発想、うれしくなります。
 WEBで、そのシンポジウムの資料をダウンロードしたり、伝手を辿って、シンポジウム当日に会場で配布された?資料を手に入れたり、しばらくは夢中になりました。

 娯楽性も一級です。

 日本国家延命のための“K作戦”を画策する内閣総理大臣・菅原。
 暗黒と炎の南九州をスプリンター・カリブで疾走する防災工学の専門家・黒木。
 この二人の活躍を中心に、未曾有の災害に遭遇した人たちの姿が感動的に描かれています。

 主人公・黒木に感情移入し、徹夜での一気読みでした。

 クライマックスで菅原が語る、日本国民・世界に向けたメッセージに感動する人も多いかもしれません。このクライマックスは、著者の想いが込められている箇所かもしれません。私には理想主義過ぎて、チョット鼻に付くところではありましたが...それでも、それを補って余りある面白さです。

 書店に並べられている時点では、書名が余りにも???だったので、手にも取りませんでした。
 ところが、私の所属する学会(日本火山学会とは違うところです)のWEB上でこの本の評判が挙がっており、それを見て俄然興味が出ました。読んでみてビックリしたのは、すでに書いたとおりです。

 史上最高の科学文学だと思いました。それ以来、「防災に係わる人間は読んでおくべきだ」と、鼻息荒く、周りのエンジニア達にも進めています。


(追 記)
 同じ著者の第二弾、「震災列島」。
 こちらの方は期待外れでした。

「宗像教授伝奇考」



著者: 星野 之宣
タイトル: 宗像教授伝奇考

 SF、お伽噺、民間伝承、童話や古代史、星野之宣はこれらの膨大な知識と情報を縦横無尽に組み合わせ、解釈し直し、新たな物語・妄想を構築する名人です。

 子供の頃、星野之宣と諸星大二郎の描くマンガは、どことなく怪しい、しかし、なぜか惹かれる物語でした。「ブルーシティ」、「妖女伝説」、「2001夜物語」、「ヤマタイカ」、などなど。
 学生時代までは、確かにコミック全作品を持っていたはずなのですが、いく度かの引越しを重ねるうちに初期の作品は一散してしまいました。最近になって、「宗像教授伝奇考」を読んでいるうちに、また、昔の作品を読み返したくなりました。なぜ手元に置いておかなかったのかという後悔が今更ながら...(そのうち、ブックオフなどで探してみよう)

 星野作品は、ヤングジャンプなどで、3・4週の短期集中連載で掲載された作品も多かったように記憶しています。短・中編に印象深いものが多いような気がするのも、そんな記憶からでしょう。この「宗像教授伝奇考」も短・中編を集めた作品集という趣向です。私の手元には現在、第1集から第6集まであるのですが、まだ続編があるような感じです。

 民俗学者、宗像教授の赴くところ、時間の彼方に葬られた弱者の秘史が顔をのぞかせます。ときにホラー・タッチに、ときにはSFチックな状況にあって、宗像教授はその思考を過去や異世界に飛ばし、幻視しながら眼前の事態に対応していきます。そして物語の終わりには、宗像教授の粛然とした表情と余韻が残るのです。

「阪神・淡路大震災10年」



著者: 柳田 邦男
タイトル: 阪神・淡路大震災10年―新しい市民社会のために

 この構造物はどのような地震動なら耐えられるのか?このくらいの地震動に耐えられるようにするためには、どのくらいの仕様にしなければならないのか?、などという判断をし、それをクライアントに説明することを生業としている。
 その判断のための道具は、主に、自然科学系の知識に基づいて構築され、プログラミングされた数値解析手法である。それと経験。
 この仕事、結構長いことやっている。

 地震や震災関連のニュースが飛び込んでくると、2つの視点で見ていることに気づく。

 1つは、職業人としての視点。
 震源は?マグニチュードは?・・・ 頭の中は、理学・工学的な情報を探索するモードに切り替わる。揺れを自分で感じた場合は、速報が出る前に震源を推定することすらある。

 2つ目は、一般市民としての視点。
 地震があった近くに知り合いはいたか?

 この2つの視点が併在している時間はそう長くない。
 2つ目の視点からの心配がなくなり、徐々に地震関連の情報が増えてくると、再び1つ目の視点にモードが変わり、それらの情報に関する自分なりの分析が始まる。その後はしばらく第1視点モードのままである。
会社からは誰が地震調査に行くんだろう?とか、クライアントの施設に被害はないだろうか?とか...

 阪神・淡路大震災の現場を見てショックを受け、耐震設計や防災関連の仕事に携わるものとして、おこがましくも反省をし、多少なりとも、微力ながらも、今後自分にも何かできるのではないかと思い、今日に至っている。
 第1の視点に立った自分には、何かの、誰かの役に立っているものがあるのだろうか?
 その間、数々の地震被害、水害があった。そのたびに自問自答。答えは出ない。

 ならば、第2の視点で、一般市民として何かできないか?
 この種の本を読むたびに、第2の視点が重要であることを認識させられる。仕事がらみ(第1視点モード)の本・論文だけ読んでいてはいけない。

 いや、本だけ読んで暮らしていてはいけない...

絵本でも自然科学



著者: 松岡 達英
タイトル: ジャングル

岩崎書店、価格:1,470円

娘が幼稚園から借りてきた絵本です。著者がコスタリカのジャングルに実際に行って見てきた動植物や昆虫などを細密なカラーイラストとして描き、それら絵の合間に簡単な説明文やエッセイみたいな文章を挿入した構成が非常にきれいです。
1本の木の表面には数十種類もの着生植物がくっついて共生しているそうです。その1本の木と着生植物の姿を見開きで描いた絵は特に印象的です。
コメントもさりげなくてイイです。

「○○史観」って、科学じゃないでしょ




「歴史学ってなんだ?」
小田中直樹/著、PHP研究所、価格:714円

なぜ歴史を学ぶのか?歴史を学ぶとどういうメリットがあるのか、などなど、誰かに話したくなることがたくさん書いてあります。
将来、子供に「どうして歴史なんて勉強するの?」とか、「歴史がなんの役に立つの!」と言われたとき、この本を取り出して差し出す自分を想像しました。

この本の著者は以下のことについて、随分と力を入れて述べています。
(私の意訳です、正しく理解できていればいいのですが・・・)

(1) 歴史学を科学として捉える
歴史上の事実、この「事実」にアクセスすることを追及する。そもそも事実というのが、“本当のこと”と同じ意味だとしたら、過去の本当のことなんて誰がわかるのでしょう。どうやって知るのでしょう。科学であるからには、事実であることを証明するために、根拠を提示しなければなりません。この根拠を提示し続ける姿勢を持ち続け、より本当らしく評価・解釈できることを追及する。これが、科学としての歴史学である。

(2) 歴史はどういうふうに役に立つのか?
歴史が、日常生活の教訓として役立つ、コミュニケーションの改善につながる、など、個人のメリットになると主張しています。「常識」とか「コモン・センス」(著者は“教養”という言い方は高尚なので、「コモン・センス」というほうが良いといっていますが、この点だけは私には何がなんだか判りませんでした)を提供できると答えています。

さて、私の感想です。

(1)については、歴史学だけでなく、どのような学問の世界でも同じでしょう。
学問だけでなく、私の仕事(土木構造物の耐震設計や研究をしています)でも同じだと感じました。
本当のことなんて誰も判らない、どうやったら判るんだ、と思いながらも、自分の判断として正しいと思える方策を立て、自分以外の人に筋道立てて根拠を示して説明する。そして多くの人が納得するであろう回答を提示していく。そういうことを真摯に実行し続けるしかないのだと思っています。
著者は、私の稚拙な言い方よりもずっと簡潔で判りやすい言葉を使って、私が普段感じていることを的確に言ってくれているのだと理解しました。この著者に親近感を持ちました。

(2)については、“個人のメリット”としていることに共感しました。民族としてのアイデンティティーとか、フェミニズムを介して語られるよりも、よほど歴史をリアルに捉えることができると思いました。

そして何よりも、この本全体に貫かれている、著者の歴史学(科学)に対する真摯で謙虚な態度に非常に感動しました。

最後に、中学・高校の歴史の先生方へ
この本は生徒からの質問に対するアンチョコとして非常に有効です。
傍らに、ぜひ1冊!!

「血に問えば」

「血に問えば」
イアン・ランキン/著、延原泰子/訳、早川書房、価格:2,100円



 スコットランド警察のリーバス警部が主人公のシリーズ物です。第14作目(翻訳されているのは8作目?)です。このシリーズは常に、辣腕の個人(主人公)と組織(警察署)との間の対立やエジンバラという地方社会の持つ問題点を背景に、ストイックに謎を追うリーバス警部の活躍と挫折を描く物語です。
 この作品では、ある男が起こした学校内での乱射事件を題材にしており、クライマックスではどんでん返しもあり楽しめます。

 この小説の主人公のように、組織の上層部には疎まれても、なにかコダワリをもっていて(そのコダワリが何かは上手く説明できないのですが)、そのコダワリに対してはストイックであり続ける人間・・・カッコいい、と思ってしまうのです。
 ハード・ボイルド小説(イアン・ランキンの作品はハード・ボイルドではないかナ?)が好きなのは、このような男(ときには女)が主人公となり、その時々の不条理な犯罪(の背景にある社会)に対してみせるシニカルで、しかし、それでも希望を捨てない、その立ち居振る舞いと行動に憧れるからです。いい年をして、いまだに、そういう人間になりたいナと思ってしまうのです。そして、いつまでも、“卑しき町を行く孤高の戦士”の系譜を追っていきたいと思っています。

 さて、この作品もそうなのですが、ここ十年くらいの海外ミステリーを読んでいると、アメリカでもイングランドでもスコットランドでも(日本でも)、現代社会は世界中どこも同じような状況にあることが浮かび上がってくるようです。犯罪の低年齢化や無目的化、など、普段、テレビ・新聞・ネットに流れる痛ましい情報の背景に在るものです。

フィクション読んで、そんなことを考えるのも、どうかと思いますが・・・

サッカー。見るのも、読むのも好きです。




タイトル: サッカーの国際政治学

小倉純二/著、講談社、価格:735円

それにしても日本サッカー界を動かしている人たちというのは凄いですね。わずか10年余りで野球を凌ぐメジャー・スポーツに押し上げ、代表チームをワールドカップに出場させる。その方策立案と実行力。2002年ワールドカップの日韓共催を(やむなく)承諾した際の冷静な(冷徹な)判断力。「百年構想」など世論へのアピールの仕方。国際的なサッカー界における政治駆け引き・戦略の執り方。などなど。この本を読むと、そのとき何故そうしたのか?その過程が僅かながらも窺い知ることができます。

しかし何故、日本サッカー界を動かす人たちは、かつては選手(専門的な職人)でありながら、協会組織に属してからは、巨大な組織を運営し、重大な判断を行うゼネラリストになりえたのでしょうか?そこのところを教えてくれるような本をどなたか書いていただけませんか。すでにそのような分析を行った書物があるのなら紹介していただけませんか。