本だけ読んで暮らせたら -154ページ目

「穢れしものに祝福を」



著者: デニス レヘイン, Dennis Lehane, 鎌田 三平
タイトル: 穢れしものに祝福を

「穢れしものに祝福を」
デニス・レヘイン/著、鎌田三平/訳、角川文庫

ボストンの私立探偵、「パトリック&アンジー」シリーズ第3作です。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 “人探し”にかけては、ボストンの中でも1・2を争うといわれている主人公達。
 彼らの探偵としての絶対的な2つの素養が、その評判を確立させていた。

 前作「闇よ、我が手を取りたまえ」で心身に傷を負った主人公2人は休業状態。連絡手段をすべて絶っていた。
 そんな折、どうしても彼らを雇いたい人物がいた。失踪した娘を探してほしい、という大富豪。その大富豪は、探偵達を拉致してまでも、彼らの素養を必要としていた。
 そんな依頼人のやり方を受け入れるはずもない探偵達。しかし、依頼人の話と、当座の経費5万ドルは探偵達を仕事へと駆り立てる。

 探偵達の素養の1つ、“自分達が信頼した人間に対する正直さ”。

 彼らは探偵業を再開した。彼らは、“もつれをほどき、獲物の臭跡を追い、未知の近づき得なかった真実を解き明かす第一歩を踏み出すこと”を待ち望んでいた自分たちに気付いた。

 失踪人捜索の過程で、またしても、事件の様相は一変し始める。

 クライマックス。
 真相を突き止めた、その時、絶体絶命の窮地に立たされる探偵達。
 “フェイル・セイフ”とアンジーの強烈なパンチがそれを救う。

 そして、探偵達は、2つ目の素養、“情け容赦のないこと、絶対に容赦しないこと”を発揮する・・・

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 前作「闇よ、我が手を取りたまえ」は、作品全体を通して暗く重い雰囲気でした。作者の主人公達に対する扱いも熾烈なものでした。しかし、今作「穢れしものに祝福を」では、作者は、最後に2人の探偵に少しだけ明るい兆しを与えました。
 ハッピーエンドとはいかなくても、フィクションに対して、基本的には明るい終わり方を求める私としては、この作品のエピローグは、“ヨシ、ヨシ”ってな感じでした。
 この作品を読み終えた段階では、次作への明るい方向への展開を期待しました。・・・が、第4作「愛しき者はすべて去りゆく」では・・・

 作者は、作品ごとに、悲観と楽観の振幅を大きく揺らします。

「闇よ、我が手を取りたまえ」



著者: デニス レヘイン, Dennis Lehane, 鎌田 三平
タイトル: 闇よ、我が手を取りたまえ

「闇よ、我が手を取りたまえ」

 デニス・レヘイン/著、鎌田三平/訳、角川文庫

 ボストンの私立探偵、「パトリック&アンジー」シリーズ第2作。
 前作「スコッチに涙を託して」よりもパワー・アップしています。
 ミステリー色よりも、サスペンス色が強い作品です。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 依頼された仕事は、脅迫をやめさせることだった。脅迫を行っている人物は、2人の幼なじみでもある男だった。その男は、今やアイリッシュ・マフィアの元締めの片腕となっていた。

 依頼人の話を聞きながら、“この依頼を引き受けることは、今までで最高の自殺行為だ”と思っているパトリック。その横に座るアンジーは、パトリックの心を読んでいた。
 「なに? 永遠に生き続ける気でいるの?」

 ・・・2人は事件に飛び込んだ。

 ストーリーは加速していく。単に、マフィアとの対決には終わらない。

 この作品のテーマは、「法の外に存在する絶対悪」である。

 暗黒の淵に立つ主人公2人。事件は、彼らの心と体に大きな傷跡を残すことになる。

 事件解決・・・エピローグ。

 事件の顛末が、関わった人間達のその後が、淡々と記述される。
 そして、彼らを取り巻く周辺の状況も、彼ら2人の関係も、事件前とは大きく異なってしまう・・・

「スコッチに涙を託して」



著者: デニス レヘイン, Dennis Lehane, 鎌田 三平
タイトル: スコッチに涙を託して

「スコッチに涙を託して」

 デニス・レヘイン/著、鎌田三平/訳、角川文庫

 フィリップ・マーローが確立した私立探偵像。その系譜を引き継ぎ、知性と軽口とメランコリーを身に付けた、ボストンの私立探偵パトリック・ケンジーと、その相棒アンジー・ジェナーロのデビュー作です。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 パトリック・ケンジーは、古都ボストンから少し離れたドーチェスターという貧しい白人達の住む町に事務所を構えている。この町は彼が生まれ育った場所でもある。
 危険な箇所へは四十四口径マグナム・オートマチックを上着の下に吊るして行く。射撃が下手で、万が一撃たなければならなくなった場合に、相手のどこでもいいから当てて致命傷となってそれっきり立てなくさせる必要があるためだと・・・下手に小口径で腕にでも当たったら、ただ相手を怒らせるだけになるからだと・・・

 絶対に誰にも屈せず、パトリックが撃ち損じた凶悪常習犯に二発の銃弾を打ち込んだほどの女性であるアンジー・ジェナーロ。
 パトリックの幼馴染であり親友でもある彼女は、2人の幼馴染であるフィルと結婚している。アンジーはフィルからドメスティック・バイオレンスを受けながらも、いまだ別れられない。この2人の関係をパトリックは理解できない。かつて、パトリックは、アンジーに対して暴力を振るうフィルを半殺しの目に合わせたこともある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 ある日、パトリックは地元選出の下院議員に呼び出される。ネクタイをしていなければ入れない、リッツ・カールトン・ホテルに。普段はジーンズにダイバーシャツのパトリックも正装していた。下院議員から紹介された依頼人は上院議員。
 上院議員のオフィースから、黒人の年老いた清掃係とともに書類が消えた。 「清掃係の老女を探し、書類を取り返してもらいたい」 上院議員からの依頼内容であった。

 書類と老女を捜す過程で現れる様々な謎。ボストンの町に銃声が鳴り響き、死体が積み重なる・・・

 主人公達の育った環境・背景や2人の微妙な関係は、ストーリーの進行に伴って徐々に明らかになり、また、彼らの思考や行動に影響を及ぼす。

 悲しい事件。自らに傷を負いながらも謎の解明に向けて疾走する主人公達。明らかになる澱んだ真実。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 現代社会の負の側面に対するパトリックとアンジーの感じ方、それに対する対処の仕方、それらに共感してしまいます。

 “謎解き”としての話の展開も良くできていると思います。
 
 今現在のハードボイルドでは、このシリーズの作品が一押しです。

海外ミステリーもの


海外ミステリーものに のめり込んだのは、ロバート・ラドラムの「暗殺者」がきっかけでした(映画化され、現在はその続編も上映されていますネ)。

 以来、チャンドラーにのめり込んだり、コリン・デクスターやP・D・ジェイムスに行ったり、手当たりしだいで、今日に至っています。

 もともと、このブログでは、海外ミステリーについての感想や意見をメインにして書いていこうと思っていたのですが、違う分野の本に関するものが多くなっています。

 明日からは、1週間くらい、海外ミステリーの特集といってみよう。

「幕末 写真の時代」



著者: 小沢 健志
タイトル: 幕末―写真の時代

「幕末 写真の時代」
小沢健志/編、筑摩書房

日本に写真が入ってきたのは1848年。幕末の頃・・・
坂本竜馬や木戸孝允(桂小五郎)ら歴史上の人物の写真は誰もが一度は何らかの形で見たことがあると思います。しかしこの時代の風景、町並み、職人達の写真はあまり見たことがないのでは?

この本、日本における写真史や、初期の写真技法などに関する話題も豊富に載せられています。
でも、写真集として眺めると、より楽しめます。

薩摩屋敷とその脇の道の写真などは、現在の品川駅○○ホテル前の国道の雰囲気そのものです。
萩城や鹿児島城など、官軍となった側の雄藩の居城も鮮やかです。
戊辰戦争で落城後の会津若松城。砲弾にさらされた後なのでしょうか、傾いた天守櫓が雰囲気を醸し出しています。

日本に写真技術が入ってきて直ぐに日本人写真家達は、来日した外国人写真家達とともに、すばらしい写真を撮っていたことがわかります。

「若い読者のための世界史」



著者: エルンスト・H・ゴンブリッチ, 中山 典夫
タイトル: 若い読者のための世界史

「若い読者のための世界史 原始から現代まで」
エルンスト・H.ゴンブリッチ/著、中山典夫/訳、中央公論美術出版、3,990円

架空?の少女に向けた語り口で書いているらしく、文体が柔らかく、なんだかいい気分で読めました。世界史をいい気分で読むというのも変ですが、著者と訳者の技の賜物なのでしょう。

この作品が書かれたのは1935年、第二次世界大戦前のことで、原著者は25歳だったというから驚きです。25歳の青年が更に自分よりも年少の人たちを対象に、これほど流麗にわかり易く歴史を語るとは。

駈け足でしたが、世界史を一通り読んだのは高校の時以来でした。高校や大学受験でこのような本を読んでおくと、世界史の一通りの流れがつかめて良いのではないでしょうか。内容的にはヨーロッパ史が大半を占めますが、それはやむを得ないこととしましょう(著者はウィーン生まれの人です)。

半世紀後に書かれたという「あとがき」は、1935年以後の世界、その間の原著者の体験と想い、人類(学問と技術)に対する希望が書かれており、読み終わってからもしばらくの間は気分よくいられます。
ところどころに挿まれたモノクロの挿絵も良い味を出しています。

癒し系世界史? です。

5年程前に書いたものです。



著者: 夢枕 獏
タイトル: 神々の山嶺〈上〉

 ジョージ・リー・マロリー。
「なぜ登るのか」と聞かれて「そこにそれが在るからだ」と答えたことで有名な伝説の登山家。三度エベレストに向かい、1924年6月8日パートナーのアーヴィンと共に頂上直前での目撃を最後に行方を絶つ。
 1953年5月29日、エドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジンの二人がエベレスト頂上に立つ。これがエベレスト初登頂といわれている。

 ヒラリー達の登頂の29年前、はたしてマロリーとアーヴィンは頂上に立つことができたのか?登頂後、下山中に行方を絶ったことが証明できたら、エベレスト登山史は塗り替えられる。彼らはコダック社製のカメラを持って登っていた。それが発見されれば現在でも現像可能といわれている。エベレストに最初に登頂したのはヒラリー達なのか?それともマロリー達なのか?エベレスト登山史の最大の謎といわれている。

 1999年5月3日、「1999年マロリー=アーヴィン調査遠征隊が、1924年6月8日以来エベレストで行方不明になっていたジョージ・マロリーの遺体発見を皆様にお伝えできることを嬉しく思っています」との報がインターネットを通じて世界中に流れた。 実話である。
 エベレスト北面8160m地点で発見されたマロリーは古代彫刻のように美しかった。エベレストという例外的な環境が良好な保存に適していたのである。

 発見の手記『そして謎は残った』-ヨッヘン・ヘムレブ/ラリー・ジョンソン/エリック・サイモンスン[著],梅津政彦/高津幸枝[訳],文芸春秋刊- にはマロリーの遺体や遺留品の発見過程・状況が記されている(写真も)。
 しかしカメラは見つからなかった。マロリーは右足を骨折していた。遭難の原因は推測できても、登頂したか否かの謎は残されたままである。

 1993年12月18日冬季エベレスト南西壁、頂上まであと250mの地点。誰も達成したことのないルートで、無酸素・単独での登頂を目論む天才クライマー羽生丈二がいる。それをファインダー越しに見るフリーカメラマン深町誠。
 『神々の山嶺』
 二人の男を主人公にしたフィクションである。マロリーの遺体発見の2年前に出版された本書は単行本で上下巻合わせて950ページの大作。
 単に、一人の男が山に登るだけの話をこれほどの長さで書きながら、一気に読ませる。
 前置きが長かったが、この物語の発端はマロリーのカメラである。そしてクライマックスには、マロリー登頂の謎が...
 2000年8月『神々の山嶺』文庫版が出版された。
 ラストシーンが若干修正されていた。実際のマロリー発見のせいである。

多読でイイの?

ある日の仕事帰りに飲んだときの会話の一部です。

「いろいろな種類の本をできるだけ多く読みたい」、と私。
「1冊づつの本をじっくり読んで内容の理解を深めたい」、と上司。

本の読み方は人それぞれであっていいのですが、何のために本を読むのかと考えた場合、私も上司も“楽しみのため”、という理由が一番大きかったようです。

だとしたら、上司の本の読み方のほうが、安あがりでイイかも。保存場所もとらないし(カミさんにも怒られないし)。
ンー? どうしたものか?         ...でも、いろいろ読みたい!

「Spirit of Wonder」



著者: 鶴田 謙二
タイトル: スピリット オブ ワンダー

「Spirit of Wonder」 講談社、鶴田謙二 作

 センスの良いSFマンガです。絵もストーリーも。


 はじめて、この作家の作品(確か、この単行本の第1話に収録されている「広くてすてきな宇宙じゃないか」だと思います)を読んだときに、星野之宣と同じ匂いがするナーと思ったものです。

 同じ匂いですが、やはり違います。

 星野は、考古学や科学的な知識を作品に反映する際、ある程度のリアリティさを含めたストーリーに仕上げているような気がします。また、彼と同じ情報・知識を持たない読者に対して、作品の背景にあるそれらの情報・知識について、簡単な説明をそれとなく加えてくれているところもあるような気がします。

 一方、鶴田は、敢えて現行の科学的な知識との整合性なんか気にしていません。場合によっては、現実の科学理論ではありえない理屈を創造して、話を展開します。
 この単行本の第4話「少年科学倶楽部 リンドヴァーバーグ博士とエーテル飛行船」なんて話は、その際たるものです。かつての一時期、宇宙空間はある未知の物質(エーテル)に満たされていて、だから光などがそこを媒体として伝わる?と思われていた、なんていうウンチクを知っていると、この話のパロディ性がわかるかと思うのです。しかし、作品の背景にある情報・知識の説明なんてほとんどしないし、読者がそれらを知っていようが知らなかろうが関係ないのです。それでも、それっぽく読めてしまうようにできています。

 星野の作品や、鶴田のこの「Spirit of Wonder」も、私のような素人のエセ科学マニアが興味を持ちそうな知識を作品に散りばめているのです。その散りばめ方に彼らのセンスを感じてしまうのです。

 それと、星野之宣の描く人物が割とシニカルなのに対し、鶴田謙二が描く人物は、みなユーモアを持つ善人ばかりです。この違いも、両者の大きく異なる点です。
 「Spirit of Wonder」は善人ばかりの出てくる、癒し系のお伽噺としてもお勧めです。読後は、まったりとした雰囲気に包まれます。
 

 鶴田さんの描く絵の良さは、誰もが認めるところで、SF小説、ライトノベルの表紙などに引っ張りだこのようです。

 しかし、イラストばかりでなく、ストーリー・マンガを描いてほしいナー!!
「Forget-me-not」第2巻の早期刊行を期待しています。



著者: 鶴田 謙二
タイトル: Forget-me-not (1)

「無限の住人」

「無限の住人」 講談社、沙村広明

10年以上も前から続いていて、この先どういう展開になるのか、まったく読めないネオ時代劇マンガです。

「勝つことこそ剣の道」、新興の剣術集団、逸刀流(いっとうりゅう)、その統主・天津影久(あのつかげひさ)。天津ら逸刀流に両親を惨殺された少女・凛(りん)。凛が両親の敵を討つために選んだ用心棒は、“百人斬り”、不死身の男・万次(まんじ)。

読み始めた頃は単純なストーリー展開だナと思いながらも、しかし、その画力と構図、殺陣の斬新さに圧倒されました。そして、何よりも、キャラクターがタッテイル!!のです。主要なキャラはともかく、逸刀流の面々、逸刀流の壊滅を狙う無骸流(むがいりゅう)の面々、これほど登場人物の個性が際立っているマンガもめずらしいのではないかと思います。
特に、女性キャラが秀逸です。
  かつては武家の奥方、無骸流・百琳(ひゃくりん)
  万次も敵わない、天才女剣士・乙橘槇絵(おとのたちばな まきえ)

主人公・万次と凛は、利害が一致する無骸流と組んで逸刀流のメンバーと戦ったかと思えば、場合によっては逸刀流のメンバーと組んで無骸流と戦ったりします。キャラの個性によって、敵味方が混在して、物語となっていくようです。
さらに、逸刀流vs無骸流の死闘場面とか、よんどころ無い事情(この辺のところは、読んでください)で凛と天津がある一派に狙われ、襲われる場面では、主人公・万次がほとんど登場しない巻があったりします。主人公なしでも読ませるのです。

無骸流との死闘・罠により壊滅状態となった逸刀流。その争いに加わった万次は、無骸流の頭目、公儀新番頭・吐鉤群(はばき かぎむら)の興味を引きます。そして万次は拉致されます。これが14巻の終わりでの出来事です。
吐鉤群とオランダ帰りの医師・綾目歩蘭人(あやめ ぶらんと)。この2人が万次の不死身の秘密を解き明かすべく執念を燃やします。一方、凛と逸刀流の残党・瞳阿(どうあ)と夷作(いさく)が巻き込まれる騒動。
現在最新刊である17巻では、この2つの話を中心に全体の物語が進行しています。主人公・万次は地下牢に閉じ込められ、身動きできない状態のまま、すでに3巻分が経過しているのです。

ヘンなマンガでしょう。主人公以外のキャラクターがドラマを動かしているのです。
現在のこの状況、作者が意図した展開なのでしょうか?
私には、たち過ぎたキャラが作者の意図を超えて暴走しているような気がします。
この先、どう展開していくのか?

このマンガの評価、好きか嫌いか、人によって真っ二つに分かれそうです。



著者: 沙村 広明
タイトル: 無限の住人 (1)



著者: 沙村 広明
タイトル: 無限の住人 (14)



著者: 沙村 広明
タイトル: 無限の住人 (17)