本だけ読んで暮らせたら -152ページ目

「進化しすぎた脳」



著者: 池谷 裕二, 長崎 訓子
タイトル: 進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線  朝日出版社

養老孟司さんの「唯脳論」を読んで衝撃を受けてから、“脳”の話って好きなんですよネ。
いきなり脱線しますが、この「唯脳論」、かつて読んだ科学系啓蒙書の中で、衝撃度ランキング2位の本でした。ちなみに1位は「利己的な遺伝子」です。

んで、この「進化しすぎた脳」を読んでの感想ですが、・・・
まったくもって、うらやましい。
なにがって、この本の著者、池谷裕二氏です。
難解なことや最先端の研究内容を、高校生にも分かりやすく伝える能力を生み出す脳を持っているのですから。

池谷氏の説明相手でもある高校生達。彼らもまた優秀です。最近数学の世界で起きた大きな変化・・・「複雑系」・・・という用語を瞬時に発する高校生というのは、私から見れば優秀すぎです。池谷氏の説明を理解し、その場で質問を返す能力。彼らの脳の中では、講義を聞きながら、シナプスの結合が生じているのでしょう。

で、本の内容ですが、濃いです。メチャメチャ面白いです。評判のことだけはあります。
全ての中身を紹介することはできませんが、私の脳に最も強くインプットされたのは次のことでした。

  ■正確無比な記憶は役に立たない。応用できないから。
    応用できないものは覚えてもしょうがない。

  ■後で応用するために覚えなければならない有用な情報は、
    抽象化・一般化・汎化する。

  ■その汎化をするために、脳はゆっくりと、あいまいに情報を蓄える。

  ■ゆえに、人の脳は、あいまいにできている。


この人が書いた他の本も読まなくちゃ。

塩野さんの歴史ミステリー

またまた、塩野七生さんの作品です。

「緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件」
「銀色のフィレンツェ メディチ家殺人事件」
「黄金のローマ 法王庁殺人事件」

塩野さんにしてはめずらしい、完全なフィクションです。
イタリアのルネサンス期の3都市を舞台にした、なんと、ミステリー仕立てのシリーズです。

主人公は、“海の都” ヴェネツィアの貴族マルコ。そして、遊女オリンピア。シリーズを通しての主人公です。
このオリンピアがなんとも魅力的に描かれています。この3作品を読んで、塩野さんは女性を描くのも巧いことが判りました。

主人公マルコの故郷ヴェネツィアはトルコや神聖ローマ帝国に囲まれており、この時代も厳しい状況に置かれています(このあたりの状況描写は「海の都の物語」 に詳しいです)。

インテリジェンス(情報収集・分析)を駆使して生き残りを図らなければならないヴェネツィア。その責任ある立場にある主人公マルコは、各都市のキー・パーソン達と政治的駆け引きを行いながら、共和国の延命につくします。その間に展開される男同士の友情物語と、オリンピアとの愛情物語もフィクションならではの彩を添えています。
マルコの目を通してみた、ルネサンスという時代におけるイタリア各都市の魅力も、十二分に描き出されています。

“都市”の存亡を描かせたら超一流、フィクションでも塩野節は健在です。



緋色のヴェネツィア―聖(サン)マルコ殺人事件

銀色のフィレンツェ―メディチ家殺人事件

黄金のローマ―法王庁殺人事件

絵を描くには・・・



著者: 永沢 まこと
タイトル: 永沢まことのとっておきスケッチ上達術   草思社

 水彩画のハウ・ツー本です。

 私、ハウ・ツー本というのは好きではありません。他人に、こうしろ、ああしろといわれるのは基本的に嫌いで、天の邪鬼です。
 しかし、どうしたら綺麗な水彩画が描けるのかを知りたくて、この本を選んでしまいました。数ある水彩画ハウ・ツー本の中で、これを選んだ理由は、単純に載っている絵が好みであったからです。

 しかも、意外な収穫がありました。

 この方は、絵を描くときに構図を決めないとのことです。
 まず、目に付いた所、印象的なところから、細部でもイイから、そこから描きだす、ということです。一点突破で描きだして、周辺を描いていくとのことでした。描きたいところが増えてきて、はみ出してしまうようだったら、紙を継ぎ足せばイイとのことです。
   ↑ これだけでも、目からウロコです。

 しかも、下書きは鉛筆ではなく、油性ペンを使うのです。もはや下書きというものではなく、線描きを非常に重視しているのです。色彩を付けていくのは2次的な作業だとさえ思えてきます。

 著者は「この方法で30枚描いてください」と云われています。30枚くらい描けば、その人なりの線の雰囲気が現われてきて、個性ある、その人独特の絵が描けるようになるだろう、とアドバイスしています。
 天の邪鬼な私としては、「巧い絵が描けます」と云わないところが、さらに気に入りました。

「環境リスク学」



著者: 中西 準子
タイトル: 環境リスク学―不安の海の羅針盤   日本評論社


 一般的に(というか、私の場合?)、ある事を知ろうとしたとき、できるだけ複数の情報源から情報を仕入れ、その中から取捨選択し、自分の経験や知識と照らし合わせて有益かそうでないか、納得できるかできないかを判断します。少なくとも、私はそうありたいと思っています。
 それら情報源の中で、テレビや新聞による報道はウェートの高いものでした。かつては。
 いつからでしょう、扇動的・感情的なマスコミの報道にうんざりしてきたのは。

 環境ホルモン、ダイオキシン、狂牛病、一時期のマスコミの大騒ぎは何だったのでしょう。今でも報道しているところはあるのでしょうか?(狂牛病については、2月に国内で最初の死亡者が出たため、瞬間的に報道されたかナ。)

 テレビや新聞など、かつては一種の権威のようなものもあった?情報発信源ですが、今では、こういった大マスコミが発するどんなニュースも、そっくりそのまま信用することはなくなりました。
 テレビ局や新聞社が発する情報は、速報性に関してはまだしも、信頼性に関してはタブロイド誌、週刊誌、等と同程度かナと思っています。数多くある情報のうちのひとつでしかありません。

 情報の信頼性はやはり、複数のデータを提示し、異なる2つ以上の観点に立って、落ち着いて冷静に分析されたものには敵いません。

 キチンとした物さえ選べば、本・書籍は、“情報の信頼性”という点で最も確度の高い媒体だと思います。


 能書きが過ぎました。
 最近、私の中で、“信用できる”と強く思った書籍を紹介します。

 この本は、中西準子さんという、本当にまじめで実直な(と、私には感じられる)科学者が、化学的な物質が環境や人に及ぼす影響について、“リスク評価”という手法を用いて判断していくことを提唱している本です。
 いろいろな化学物質の人に対する危険度を順位付けしたり、国やマスコミが発表した事柄に対する冷静な批評などが、淡々と述べられています。この“淡々さ”がイイのです。信用できるのです。

 そして何よりも、冷静に分析・解釈したファクト(事実)を、一般人にも分かる言葉で説明しています。一般人に対する説明責任。科学者として、最も重要なことの1つだと思います。
 科学的な内容に関する真摯な態度はもちろんですが、“説明すること”に対する中西さんのコダワリが垣間見えるようです。

 この本を読んで以来、中西さんが発言される言葉にアンテナを張るようになりました。確か、つい最近もどこかのオピニオン誌に発言されていました。

 最後に、私にとって、特に印象的だった一言を紹介します。

 「都合のいいことを、自分たちで決めてはいけない」

 身に沁みる一言です。


(追 記)
 言い忘れていました。この本、会社の上司から借りて読んだものです。
 めったに他人から本を借りない私が、めずらしく借りた本です。

 これまでは、自分で選んだ本を読むだけでも精一杯で、他人から薦められた本を読んでいる暇などない、と勝手な理屈をつけて、あまり他人から本を借りるということをしたことがありませんでした。
 このブログを書き始めてから、他人の意見(書評、お薦め)にたまにはしたがってみようと思うようになりました。

読む力がない・・・




著者: ロバート キャンベル, Robert Campbell
タイトル: 読むことの力―東大駒場連続講義


  講談社選書メチエ


 これ程、まったく歯が立たない、と感じることもあまり無いのでは? と思った本を紹介します。

 私の場合、“歯が立たない”というのにも、いろいろあって、思い付きで書くと次の3つに分類されるかと思います。なお、ここでの3つの分類では、“最初から手を出さない本”は除いています。

  (1)ぜんぜんおもしろくなくて、途中で読む気が失せる。
    (↑ 期待していたのに・・・というやつ。エンターテイメント系に多い。)

  (2)難しくて理解できない。
   (↑ 専門書に多い。理解したいのだけれど、私の能力不足で判らない。
     なんとなくイメージくらいはできる。判ると楽しいだろうナと思う。)

  (3)何が書いてあるのか、何について云っているのか、良く判らない。
    イメージさえも湧かない。
    (↑ 今回の本がこれにあたる)

 たいていの場合、歯が立たずに放り出してしまう本というのは、(1)か(2)の理由なんだけど、この本は(3)の理由で放り出した、おそらく初めてのものでした。


 この本、東京大学に入りたての1年生を対象とした講義内容をまとめたものだそうです。
 「読むこと」って何だろうな、をテーマとしているそうです。

 12・3人の人たちが、それぞれに、テーマに沿った?講義を行っていくわけですが、講義者が何を云っているかをイメージできたのは、毛利一枝氏の「装丁としての磁力」と、柴田元幸氏の「翻訳者は“作者代理”か“読者代理”か」くらいでした。
 その他の講義内容については、ほんと、歯が立ちませんでした。

 講談社選書メチエとして出版しているからには、決して専門書ではなく、一般人向けの本だと思うのですが・・・

 どなたか、この本を読んだ方、感想をお聞かせください。

「夜勤刑事」



著者: マイクル Z.リューイン, 浜野 サトル
タイトル: 夜勤刑事


 私立探偵アルバート・サムスンのシリーズを書き続けるマイクル・Z・リューインは、1970年代から1980年代にかけて、ネオ・ハードボイルドの旗手といわれたそうです。その頃、まだ私はミステリーを読み始めていませんでした(私がミステリーを読み始めたのは1980年代の後半くらいだったと思います)。

 私がリューインの作品で最初に読んだのが、この「夜勤刑事」でした。 この作品はアルバート・サムスンが主人公ではなく、インディアナポリスの刑事リーロイ・パウダー警部補が主人公の作品です。


 この小説は、複数の事件が同時進行的に起こる、いわゆる、“モジュラー型犯罪小説”といわれているタイプのものです。実際の警察でもおそらく、複数の事件を抱えて忙しい状況であることが想像されます。その点、この作品は世界中の実際の警察のどこでも起こりえる状況を再現しているといえます。

 単独の、あるいは少人数チームの私立探偵達が基本的には1組の依頼人から受けた1件の事件を解決していくのとは異なる状況でストーリーは進行します(こういったタイプの小説は、「87分署」シリーズが代表的かな?)。そして、クライマックスで複数の事件が収束していく、そのオチを楽しむ小説といえるかもしれません。


 主人公パウダー警部補は、短気で強引、アクが強くて人には好かれない。しかし、その底は純真で正直。ワーカ・ホリックな中年です。
 灰色の脳細胞によるヒラメキで謎を解明し、圧倒的な行動力を持って犯人と対峙するタフガイでもありません。ただ、刑事としてやるべきことを徹底的に納得するまでやる。
 天才ではない。しかし、誠実に仕事に取り組み、積み重ね続ける。こういう人物もプロであり、そしてハードボイルドな男といえると思います。


 著者リューインは、主人公の内面や心情について、表立って記述するようなことはあまりしません。しかし、主人公と周りの人物達との会話で、この警部補が紛れもなく“男”であることを描写します。


(追 記)
 この作品では、リューインのもう1つのシリーズ(といより、こちらがメインのシリーズですが)の主人公、私立探偵アルバート・サムスンも登場します。
 さらに、リューインのノン・シリーズ作品での主人公、社会福祉士アデル・バフィントンも登場します。
 3つのシリーズ作品の主人公が、お互いの作品に時折登場するのも、リューインの巧いところです。

年度末恒例の騒ぎがはじまった

 今年もはじまってしまった。 土日出勤。
 (不況のせいで? 例年に比べればかなり休日出勤は減ったけど)

 EWS(エンジニアリング・ワーク・ステーション)を使わなければできない仕事では出勤するしかない。
 自宅にあるそこそこのPCでは,膨大なデータ処理と技術計算を行うには不安定な環境なのである。まアー,最も,一番大きな理由は,自宅のPCがUNIX環境にないことだけれど。

 3月末が報告書提出なのに,今更ながら技術計算をパラメトリックに(つまり,手当たり次第に)行っているようでは,どうなることやら,である。本来なら計算は終了して,まとめに入っていなければならないはず・・・

 3月は娘の卒園式もあるのに・・・絶体絶命のピンチである・・・

 でも,往復の電車の中での読書時間が増えて嬉しい!?

「コンスタンティノープルの陥落」



著者: 塩野 七生
タイトル: コンスタンティノープルの陥落


 「コンスタンティノープルの陥落」
 新潮文庫

 コンスタンティノープル、その昔はビザンチウムと呼ばれ、現在はイスタンブールと呼ばれる地。この地をめぐる熾烈な歴史物語です。

 1453年ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルが陥落し、その地に赤地に新月と星のトルコの旗がはためくことになります。ビザンチン帝国は、古代ローマの血を引き継ぐ最後の帝国でした(東ローマ帝国とも呼ばれていました)。

 「ローマ人の物語」のカエサルもそうでしたが、入れ込んだ人物については、塩野さんは非常に魅力的に描きます。
 この物語では、トルコの若きスルタンとビザンチン帝国最後の皇帝の2人です。

 才能に富み、かつてのアレクサンドロス大王と同じ栄光を望む21歳のスルタン、マホメッド二世が「あの街をください」と言ったその時に端を発し、千百年続いたビザンチン帝国は滅びます。
 ビザンチン帝国最後の皇帝コンスタンティヌス十一世は、自ら白兵戦の先頭に立ち、殺到するトルコ軍の集団に突入しました。紅の大マントをひるがえし、回教徒達の半月刀の中に消えました。


 この作品を第1弾とし、つづく「ロードス島攻防記」、「レパントの海戦」を併せると、キリスト教世界とイスラム教世界との戦史3部作となります。
 そしてこれらの作品は、先日紹介した「海の都の物語」のヴェネチア共和国の滅亡にも連なります。
 どの作品も非常におもしろく、地中海世界の文化や歴史を知るための非常に良いきっかけとなる歴史物語です。


 余談ですが、皇帝コンスタンティヌス十一世の最後のシーン、「燃えよ剣」の土方歳三の最後と重なります・・・

「日本式サッカー革命」



著者: セバスチャン・モフェット, 玉木 正之
タイトル: 日本式サッカー革命―決断しない国の過去・現在・未来


「日本式サッカー革命 決断しない国の過去・現在・未来」
集英社インターナショナル

日本サーカーの始まりから、Jリーグ設立、ワールドカップ開催を経た現在まで、サッカーを通して見た日本社会の変革を、イギリス生まれの日本在住15年のジャーナリストが書いた本です。

原題は、JAPANESE RULES: Why the Japanese Needed Football and How They Got It です。

 この原題の訳、“日本式サッカー革命”はイイとしても、副題が何で、“決断しない国の過去・現在・未来”なのでしょう?
 訳者の玉木さん、気持ち入りすぎです。彼のテレビなどでの発言を聞いていると、入れ込む気持ちも分かるのですが、もう少し訳しようがあるのでは? と思いました。

 それは、ともかく・・・

 著者は、日本社会(日本人)が、かつての総中流化という全体主義や経済一辺倒の価値観だけではなくなってきていること、価値観がいくぶん多様化してきていることを感じ取っているようです。外国人から見たステレオタイプの日本観とは少し違っています。
 Jリーグの概念に賛同した人たち、サポーター、若きサッカー選手達、に芽生えた新たな価値観について、欧米人のユーモア、皮肉を織り込みながら、うまく語っています。一種の日本文化論ぽく、なっています。


 しかし、現実は、Jリーグの設立趣旨に代表されるような価値間を好意的に受け止めた人たちばかりではないです。そういった人たちが多数派だったら、日本の世の中はもっとドラスティックに変わっているはずでしょ? ネッ!玉木さん。

「海の都の物語」




著者: 塩野 七生
タイトル: 海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉


 中公文庫。上下2巻です。

 塩野七生さんによってイタリア史やヨーロッパ史に入っていった人も多いと思いますが、私もその一人です。

 「ローマ人の物語」もイイのですが、私が最も好きな塩野作品がコレです。

 ローマ帝国が滅びるのと同時に誕生したヴェネツィア共和国。ナポレオンによって滅ぼされるまでの約1000年間の物語です。

 小さな海洋国家がなぜ1000年も続いたのか・・・ 不思議です。