『アシェンデン 英国情報部員のファイル』 | 本だけ読んで暮らせたら

『アシェンデン 英国情報部員のファイル』

ASHENDEN Or THE BRITISH AGENT (1928)
『アシェンデン―英国情報部員のファイル』
ウィリアム・サマセット・モーム/著、中島賢二・岡田久雄/訳、岩波文庫(2008)


第一次世界大戦の際、著者モームは実際に情報部員だったらしい(作家兼務の)。これは有名な話だそうだ。だからこの作品は、モーム自身の実体験に基づいているらしい。この本の序文で、著者自らそう云っている。

モームはこうも言っている。「体験に基づいてはいるが、フィクションにするために再構成を施している」と。事実というのは、物語の語り手としては実にお粗末なのだそうだ。

秘密情報部で働くエージェントの仕事とは、実際のところ極端に単調で詰まらない物だそうだ。しかも、その仕事のほとんどは役に立たない。だからといって、そういった事実を、事実として書き連ねるのは、作家の側のテライでしかない、とモームは否定している。

小説には、練られたプロットがあり、読者の虚をつくような要素が入り、独創的で精巧な図柄が構築されなければならず、人生を模倣し、事実を取り入れるということは、小説の材料としているに過ぎない。・・・と言うような主旨のことをモームは云っている。この主張には、私も大きく頷いてしまう。そうでなければ面白い読み物などできないだろう。事実だけの羅列など小説ではない。創作があってこその小説なのだ。かといって、創り込み過ぎて失敗している小説も世の中には膨大に存在しているのだが・・・。



そうそう、題名の「アシェンデン」とは、主人公の名前である。著者モームの分身である。

作家として他人を観察し、その人物の素養を見抜く力を持つアシェンデンは、“R”と呼ばれるMI6の大佐にスカウトされ、秘密情報部員となる。アシェンデンの主な任務は、ドイツ、オスマントルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国を中心とした敵同盟国のエージェント達に対する情報活動である。敵のスパイの身辺調査をしたり、敵側に寝返った裏切り者を罠に掛けて誘き出したり、ロシア潜入中に革命に出くわしたり、と、その物語の中身は決して単調ではない。

作品全体としては16篇の短編から成っている。これら1つ一つの短編小説としてもそれなりに完結しており、その中で登場人物達の人となりが掘り下げられて描写される。そして、前後する2~3の短編が連なって1つの中篇として構成された物語で、様々な歴史的な事件に係わるエスピオナージの世界が描かれる。


久しぶりに面白いスパイ小説を読んだ。ジョン・ル・カレの“スマイリー3部作”やフリーマントルの“チャーリー・マフィン・シリーズ(の初期作品)”以来だ。もっとも、こちらの作品の方が先に出版されているのだが・・・。


岩波文庫のスパイ小説って、珍しいとおもいませんか。

お薦めです。




ところで、この作品を読む前・・・、

モームの作品をこれまで1冊も読んだこともないくせに、サマセット・モームって人の書いたもんはみーんな純文学だと思い込んでいた無知な私。

読まず嫌いってのはダメだね。ましてや、名前から想起される自分勝手なネガティブなイメージだけで、その作家や作品を敬遠するってのは愚の骨頂ってヤツだね(自戒を込めて・・・)。