『ロング・グッドバイ』 | 本だけ読んで暮らせたら

『ロング・グッドバイ』

The Long Goodbye (1953)





 『ロング・グッドバイ』   レイモンド・チャンドラー/著、 村上春樹/訳  早川書房(2007)



村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』と、清水俊二訳の『長いお別れ』との比較はおそらくプロの書評家が行うだろう。

原著を読んだことのない(読めない)人間が、前訳と今訳とを比較することなどできない。。。


しかし、思い入れのある作品 だけに、ココは一つメチャクチャ個人的で独断的な感想を書いてみよう。。。



チャンドラーの描き方というのは、技術レポートや実験レポートに似ているところがある。

技術レポートや実験レポートでは、結論に至る前に、観察者の主観を極力排除しながら、状況や条件・生起した結果に関する事実関係を書こうとする。そして、これらの描写の後に始めて観察者による考察が加わる。

技術レポートを書く技術者や科学者と同様、フィリップ・マーロウは、事象・事件に対して、極めて俯瞰した視点を持つ観察者の立場にある。たとえ自らが巻き込まれた事件であっても、マーロウ自身に影響を及ぼす人物達の言動を冷静に観察し、自らに降り掛かる様々な脅しや暴力をも踏まえ、そこに生じた事実関係だけを連ねて、過去に生じ現在に投影される出来事に迫る。

そして、離散的な事実関係を観察しながら、それらの点と点を結ぶ作業に移る。科学者や技術者が云う所の“考察”であり、探偵の場合は“推理”である。

考えて察する行為。理(ことわり)を推し量る行為。これらはもちろん主観的な行為である。探偵は、観察者としては極力客観的であろうとするが、点と点を結ぶ際には、主観的な行為に移行しなければならない。探偵小説のほとんどは、この客観と主観の間を行きつ戻りつしながら進行する。


さて、ここで少し脇道に入る。

ハードボイルド小説の特徴の一つに、主人公の一人称視点で、できるだけ主観を廃して客観性を強く保ったまま物語が進行し、事件の謎を解いていく、というのが挙げられる。

一方、より一般的な推理小説は、客観性を受け持つ人物と主観を受け持つ人物が異なる、という形態を採る。最も有名なのはホームズとワトソンのコンビだろう。客観パートを受け持つのがホームズで、主観パートを受け持つのがワトソン、ということになる。

このパターンでなくとも、客観パートをナレーション(著者)が受け持ち、主観パートを主人公である探偵が受け持つ場合もある。

一時期流行ったネオ・ハードボイルドは、探偵の一人称視点でありながら、従来のハードボイルドのように探偵が客観性を強く維持した形態を採らずに、探偵の極めて主観的な視点や感情を前面に押し出した叙述形態を作り出したものもある。


本筋に戻る。

チャンドラーの描く探偵小説は典型的なハードボイルドである、と言われる。・・・とすれば、マーロウ視点の客観性の強い物語構成となる・・・はずである。

確かに、マーロウが他人と交わす会話場面では、極力自分の感情を抑え、相手の感情と考えを表出させようとする、マーロウの相手を客観視する姿勢が見られる。

一方、会話と会話の間に時折り挿し込まれるマーロウの独白はもちろん主観である。

チャンドラーは、このマーロウの客観から主観への移行(境界)を曖昧に、そして静かに描く。しかし、曖昧で静かではあるが、その移行落差はもの凄く大きい場合がある。この落差の大きさがチャンドラーのハードボイルドの特徴なのだ(と、独断する)。

事件の観察者であるマーロウの客観と、事件当事者でもあるマーロウの主観。テリー・レノックスやリンダ・ローリングに対するクールな態度(客観)と、その中に見え隠れするメランコリックな感情(主観)。この落差が大きいが故に、読者の想いが入り込む余地もまた大きくなる・・・のだと思う。(優れた物語が醸しだす“余韻”とは、この客観と主観の落差の大きさに起因するのではなかろうか?)


この作品では、マーロウとテリー・レノックスが<ヴィクターズ>でギムレットを飲みながら交わす会話と、その会話が止んだ静寂の中で独白するマーロウのテリー・レノックスに対する想い、その落差を感じ取るのである。

なぜ、マーロウがテリー・レノックスにシンパシーを感じ、面倒事を引き受ける羽目になったのか?

この作品でのマーロウの年齢を1つ越えてしまった私は、その理由について、20年前とはチョット違う感じを持った。。。ような気がする。(約20年ぶりに全文を読んだ成果の一つだ。)



この新訳も、旧訳も、・・・と云うか、チャンドラー作品全般お薦めです。



旧訳↓
『長いお別れ』 レイモンド・チャンドラー/著、清水俊二/訳  ハヤカワ文庫(1976)
家にあるのは1986年の27刷版のもので、カバー・イラストを山野辺進氏が描いている。