『虹よ、冒涜の虹よ』 | 本だけ読んで暮らせたら

『虹よ、冒涜の虹よ』

『虹よ、冒瀆の虹よ』 (1999)   丸山健二/著   新潮文庫(2003)


先日読んだ丸山健二の短編集 があまりにも凄かったものだから、今度は、図書館に置いてあった丸山健二モノで一番の長編を借りてきた。



極道の世界で頭角を現す気鋭の男、 真昼の銀次。

二大勢力の一方の首領を殺った。その名の如く、真昼に・・・。そして、もう一方の勢力であり、自らが所属する勢力の首領までを殺した。


日本中のヤクザから追われる身となった銀次は、かつての舎弟が堅気の漁師となって暮らす北国の寒村に逃げた。ひなびた海岸沿いに立つ、半世紀ほども前に建造されたと思しき高さ100mあまりの電波塔。銀次はその電波塔の最上階にある小部屋に身を隠すこととなった。

極道の世界に混沌を生じさせた銀次。電波塔に一時的に身を隠しながらも、極道界のトップに君臨すべく、時機を見て再起を狙っている。自分にはその能力と気概があると信じながら・・・・。


銀次の身の回りの世話をするのは、かつての舎弟マコト。そして、臨月を迎えている聾唖の妻と5歳の娘、花子。


大自然に囲まれ、晒される毎日を過ごす銀次。

電波塔近くの砂地の荒原に自らの墓を準備する老夫婦を知ることとなったり、密入国者達から見捨てられ、溺れて死に掛けた女を助けたり、と、およそ他人には一切の関与をしなかった今までの銀次とは異なった行動をとることもあった。


ほぼ毎夜現われる<死に神>の死への誘いを断固として拒否し、また、電波塔の小部屋に転がっていた三つ穴の木片である<仮面>からの嘲笑を浴びながらも、銀次は確固とした己の魂の屹立を自覚する。


そんなある日、伝説の彫り師による刺青を彫ることを決心する。100mの高さから見て、心奮わされた“虹”の刺青を。

一日に一色だけが背中に描かれる。その度に銀次の魂は震え、叫ぶ。一色ごと、ひと色ごとに、プラスとマイナスの大きな振幅を伴って魂が揺れる。


単調な腑抜けた人生など、意味も価値もない!

いつ死んでも構わぬ覚悟と、決して他人には支配されない屹立した自己を纏い、今にも破裂しそうな緊張感に包まれた毎日を送ること、それこそが銀次の生の意味である。

その一方では・・・・・、

かつての銀次が否定していた、無作為に単調な毎日を淡々と過ごす名も無き人々。だが、彼の人々が背負ったモノを想う時、その単調な毎日も無価値ではない? との思いもよぎる。


この作品、魂の揺れやヒトの心象が移ろい行く様子と、大自然が変化する様子、その両者のインタラクションを描写する筆致に最大の特徴がある。

何度も繰り返すが、この作家が繰り出す語彙とその用い方は本当に美しい。


まだ、『落雷の旅路』 と 『虹よ、冒瀆の虹よ』 の2作品 (いずれの作品も、生と死の意味を読者に叩きつける) を読んだだけだが・・・、丸山健二という作家、時代錯誤の、ストイックで、真面目な、正統な文学者、という印象を持った。


妥協なきハードボイルド小説。その極みの一つがこの作品だ(と思う)。