『ヒトは環境を壊す動物である』 | 本だけ読んで暮らせたら

『ヒトは環境を壊す動物である』

ヒトは環境を壊す動物である

  小田亮/著、ちくま新書



生態系の保護のために、野生生物や樹木にも生存権利を認めよう!という“自然の権利”なる概念があります。

環境を守るためには、個々人の倫理観を高めよう!という“環境倫理”を声高に叫ぶ人達がいます。

ここ数年、自然環境保護に熱心なあまり、人間の行為をやたらと制限しようとする人達や報道が多くなったように思えてなりません。報道の仕方、私の情報の受け取り方にバイアスが掛かっているせいかもしれませんが・・・。


確かに“自然の権利”や“環境倫理”が必要なことは判るのですが、正統な(あくまでも正統な、です)人間様の欲求を差し置いてまで、過剰に環境保護を主張するのも、なんだかナ~、って思ってしまうのです。


ここのところ、環境問題に関する本をいくつか読みました。

その中で、この本の著者の言っていることは、なんだかシックリきました。


著者は生物学(霊長類学)出身らしいです。

進化生物学の立場から、ヒトの心の進化の過程や、ヒトがどのように環境を認知するのか、環境という公共財を守るための協力が成り立ちえるのか、道徳性がどのように生まれてきたのか、などについて解説しています。

一見、「環境」とはかけ離れた議論をしているように取れる箇所もありました。

しかし、全体を通すと、主張していることはよく判りました。

“ヒトは本性(本能)として、環境を守ることができるのか? できないのでは?”と思っている(いた)私の考えを少し転換させてもくれました。完全にではないけど・・・。


ヒトの認知能力や心の働きは、長い長い狩猟採取時代を通じて獲得されてきたものです。その間、自然環境を改変する能力も身につけてしまいました。石炭、石油、原子力エネルギーまで使って環境を作り変えられるのです。

ヒトの認知能力は、空間的には自分の周りのごく狭い範囲にしか、対人に関しては150人程度に対してしか働かないといわれています(長い進化の過程でこうなった)。

しかし、ここ数千年でヒトが活動する空間は地球上全域にまで、対人関係については数千人、数万人を認識した行動が求められる場合も生じてきています。


ヒトの急速な自然環境改変能力の拡大は、認知能力や心の限界を超えてしまった、ということです。


著者は、生物学者らしく、まずはヒトの本性を知って、それをマネージメントしながら環境問題などの解決を図ろう、という立場で本書を書いています。このあたりが私の好みに合致します。


ヒトの認知能力と心の限界を超えてしまった自然環境の改変。こういったことを承知・認識したうえで、では、環境問題を解決するには・・・


あとは、本書を読んでくださいネ。