「ディナモ・フットボール」 | 本だけ読んで暮らせたら

「ディナモ・フットボール」

ディナモ・フットボール―国家権力とロシア・東欧のサッカー

宇都宮徹壱/著、みすず書房



ディナモ・モスクワ

ディナモ・ベルリン

ディナモ・キエフ

ディナモ・トビリシ

ディナモ・ブカレスト

ディナモ・ザグレブ



すべて、フットボール(サッカー)・クラブの名前です。



旧ソビエト連邦の各国、東欧、かつての社会主義国には、“ディナモ”という名前を付けられたフットボール・チームが多くありました。

そのいずれもが、かつての強豪クラブでした。

はたして“ディナモ”という言葉の意味は? 読者に謎を与え、興味をそそる“帯”。

しかし、本書の導入部で早々に「ディナモ」の謎(意味)は開示されます。



「ディナモ」とは、ダイナモ(発電機)に通じることから、社会主義国における電気技術師組合のクラブ、とも認識されていたといいます。しかし、本来、「ディナモ」は内務省や秘密警察がサポートするクラブであり、権力の象徴であったということです。



第二次世界大戦終了後間もない19451121、ロンドンの名門フットボール・チーム、アーセナルが戦う相手は、ソビエト社会主義共和国連邦という、聞きなれない国のディナモ・モスクワというチームだった。

フットボールの母国を自認するロンドン子の誰もがアーセナルの勝利を信じて疑わなかった。

結果は、アーセナル3-4ディナモ・モスクワ。



ディナモの戦術は、ロンドン市民を虜にするほどスペクタルであったといいます。そのスペクタルさの要因は、選手のポジショニングにあったそうです。守備的ポジション、セントラル・フィールド・ポジション、攻撃的ポジション、選手個々の役割が明確であったイングランドのフットボールにあって、ディナモが現出させた“組織化された無秩序”的なポジショニング。

“トータル・フットボール”。1970年代、世界を驚愕させた、あのヨハン・クライフ率いるオランダ・チームが生み出したという世界最先端の戦術。ディナモは、その戦術をすでに四半世紀前に実行していたといいます。



このディナモ・モスクワに倣って、ソビエトの衛星各国で誕生した「ディナモ」という名のフットボール・チーム。

「西側」にもその名を轟かせた、各国のディナモ。

各共産圏諸国のディナモという名のチームには、露骨なまでに権力者の庇護が付いたそうです。時には別のチームに才能ある選手が現われたときには、権力者の命令でディナモに移籍させたそうです。

国内リーグでは別格の強さを誇る「ディナモ」。ディナモ=その国の代表チームでもありました。



自由が抑圧された社会主義の時代。国家権力の象徴ともいえる「ディナモ」チームに対して、人々は、スタディアム内ではあまり抑圧されることなく、ディナモの相手チーム(労働者階級のチーム)を応援したそうです。この時代「ディナモ」は人々の憎悪の対象であったということです。



しかし、・・・

著者は、ベルリンの壁の崩壊、冷戦の終結がもたらした後の各ディナモの数奇な運命を追っていきます。

ソビエト連邦の各国は独立し、東欧諸国は次々と自由化していきました。それと同時に、憎悪の対象であった「ディナモ」も改名されました。



しかし、次第に人々は気付きました。社会主義の瓦解が即、自由で豊かな生活に結びつくことではないことに・・・。旧共産諸国の人々に待っていたのは、西側諸国との経済的格差と、それがもたらした自信の喪失でした。自由化による移民の流入などにより、生活が悪化する場合も珍しくはありませんでした。

そして、自国のトップチームであった「ディナモ」の選手達は次々と西側のチームに移籍していきました。「ディナモ」から改名されたかつての強豪チームは次第に没落し、2部リーグ、3部リーグ、場合によっては4部リーグへと降下していくこともありました。

かつての生活と体制に郷愁を覚える人達は、かつての強豪チームへの憧憬を抱き、「ディナモ」の名称を復活させることも多いそうです。



著者の宇都宮氏は、「ディナモ」の過去と現在を、実際に彼の地に赴き、サポーターやチーム関係者に取材しています。試合にも立会っています。

わざわざ極東の島国から、東欧の3部や4部リーグのゲームを見に行くという天邪鬼さ。

きっと、現地のサポーターやクラブ関係者からも、おかしな目で見られたことでしょう。

でも、著者、宇都宮氏のフットボールに対する興味の深さと愛情がヒシヒシと伝わってきます。



いかがでしょう。こんな、世界の最果てのフットボールを追いかけたルポルタージュ。

非常にオモシロいドキュメンタリーです。しかも僅かながらですが、旧共産諸国の労働者階級の人々が感じている現状についても垣間見ることができます。